数珠の功徳といわれ

MEMO

 数珠は念珠とも言い、仏前で合掌礼拝する時に必ず手に掛けることによって、心が引き締まります。
 
 昔、お釈迦様の御在世の時、難陀国(なんだこく)の毘瑠璃王(びるりおう)が、死者をもってお釈迦様に「我が国は、常に戦乱があり、五穀実らず悪病流行して国を治めることが困難で困り果てています。どうすればよろしいでしょうか。」と尋ねました。すると、お釈迦様は「無樓子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで連珠を作り、それをいつも身体から離さず隙あるごとに心から念仏を称え、一つずつ、つまぐればおのずから心が静まり、煩いをのぞき、正しきに向かい、間違いのない政治を行うことができる。」とおおせになりました。
 
 これを聞かれた王様は大変喜ばれ、さっそくそれを実行に移され、心から毎日念仏を唱え、連珠をつま繰られたところ、後に国は治まり五穀は豊穣し、悪病も退散して国王をはじめ人々が幸せになりました。この連珠が、数珠の始まりといわれています。
 
 数珠の数を百八としたのは、我々の心は百八にも動き変わり、乱れるということからで、これを俗に百八煩悩と言っています。この乱れやすい心を仏のみ教えにより、数珠をつま繰り念仏することで救われるのです。
 
 珠の中を貫いている糸は、ちょうど仏の心の中に通しているわけであって、それを円く輪にしてあるのは、心が円く素直になることを意味しているのです。
 
 現在私たちが使っているこの数珠は、このように百八個の珠を基本としていますが、持ちやすくするために半分の五十四個玉に、また四半分の二十七個玉に、百八にちなんで十八玉などといろいろな形式にもなっています。
 
 近年では、多くの材質が用いられて、珠の数も百八の形式にとらわれずにいろいろな個数のものが用いられています。あわただしい現代に生きる私達は、この数珠を「心のアクセサリー」として大事にしたいものです。



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