2019年2月

「お彼岸セール」開催中!

おしらせ

「お彼岸セール」開催中!

 お仏壇のはしもとでは、3月21日まで、恒例となりました「お彼岸セール」を開催中です。新聞折込みチラシは、デジタルチラシでもご覧いただけます。皆様のご来店を心よりお待ちいたしております。
 
↑クリックしてデジタルチラシをご覧下さい。

お線香を贈る

MEMO

お線香を先様に贈る訳は?

 お線香は「香食 こうじき」とも呼ばれ、仏様やご先祖様にとっては、一番の御馳走となるといわれますので、お仏壇で良い香りのお線香を焚く事は、仏様やご先祖様に差し上げる最適なお供えと言えます。
 
 一般的には、お供えする菓子や果物、お仏飯は「今日もこんなにおいしいものが食べられます」と感謝の気持ちを意味してお供えします。

お線香を贈るタイミングは?

 何時でも構いませんが、「贈る」という意味からも仏事に合わせて贈られるのが良いでしょう。
 
(例えば、命日 法要・仏事 葬儀 お盆 お彼岸 お亡くなりになられた事を知った時など)
 
 一般には、お盆や初盆に贈られる方が多く、最近では喪中ハガキが届いてから、お線香を贈られる方も増えているようです。

お線香は香典の代わりになりますか?

 香典は死者の霊に供する香に代わる金銭です。本来は、香を供養として贈っていたものですので、葬儀に進物線香をお持ちするのもよいでしょう。最近では、香典を受け取らない方もいたり、また家族葬などの為、広くお知らせしない事もあるようですので、お線香を香典に代わる真心を伝えるお供物として利用するのも良いでしょう。

葬儀が終わった後で事実を知った時には?

 年末の喪中ハガキが届いたとき亡くなった事を知り、
 
1. いまさら香典を贈れない
2. 遠くてお線香をあげに行けない
3. 何か気持ちだけでもしたい
 
と思われる事があるようです。昔から喪を聞いてお線香を贈る習慣はありますので、このようなときにも、香典に代わる真心を伝えるお供者として、進物線香を贈ると良いでしょう。

「煙の出る(有煙)タイプ」と「煙の少ない(微煙)タイプ」

 お香、お線香は、昔から煙が出るものとされていましたが、住環境の変化により、煙の少ないお線香の要望が多くなってきました。そこで生まれたのが「微煙タイプ」のお線香です。香りも従来の漢薬系のものから、フローラル系の香りのものまで、多種多様に開発されています。ですが、沈香、伽羅、白檀など古来からの奥深い香りをお好みになる方へは、「有煙タイプ」がお薦めです。

数珠の功徳といわれ

MEMO

 数珠は念珠とも言い、仏前で合掌礼拝する時に必ず手に掛けることによって、心が引き締まります。
 
 昔、お釈迦様の御在世の時、難陀国(なんだこく)の毘瑠璃王(びるりおう)が、死者をもってお釈迦様に「我が国は、常に戦乱があり、五穀実らず悪病流行して国を治めることが困難で困り果てています。どうすればよろしいでしょうか。」と尋ねました。すると、お釈迦様は「無樓子(むくろじ)の実、百八を糸でつないで連珠を作り、それをいつも身体から離さず隙あるごとに心から念仏を称え、一つずつ、つまぐればおのずから心が静まり、煩いをのぞき、正しきに向かい、間違いのない政治を行うことができる。」とおおせになりました。
 
 これを聞かれた王様は大変喜ばれ、さっそくそれを実行に移され、心から毎日念仏を唱え、連珠をつま繰られたところ、後に国は治まり五穀は豊穣し、悪病も退散して国王をはじめ人々が幸せになりました。この連珠が、数珠の始まりといわれています。
 
 数珠の数を百八としたのは、我々の心は百八にも動き変わり、乱れるということからで、これを俗に百八煩悩と言っています。この乱れやすい心を仏のみ教えにより、数珠をつま繰り念仏することで救われるのです。
 
 珠の中を貫いている糸は、ちょうど仏の心の中に通しているわけであって、それを円く輪にしてあるのは、心が円く素直になることを意味しているのです。
 
 現在私たちが使っているこの数珠は、このように百八個の珠を基本としていますが、持ちやすくするために半分の五十四個玉に、また四半分の二十七個玉に、百八にちなんで十八玉などといろいろな形式にもなっています。
 
 近年では、多くの材質が用いられて、珠の数も百八の形式にとらわれずにいろいろな個数のものが用いられています。あわただしい現代に生きる私達は、この数珠を「心のアクセサリー」として大事にしたいものです。

開眼供養

MEMO

 開眼とは、一般には御魂入れ(みたまいれ)・お性根入れ(おしょうねいれ)などと呼ばれる法要のことを言います。文字通り眼目を開くという意味であり、新しく造られた、あるいは修復を終えた仏像、仏画、位牌、石塔、卒塔婆、仏壇などを供養して、それらに本来備わっているはずである仏の性質を迎える事を言うのです。
 
 開眼を行わなければ、それらの品は工芸品としての性格しか持たないことになり、開眼を行えば、信仰の対象である仏としての性格を持つ事になるといえるのです。仏像や仏画の場合には、仏の眼を開き、仏を迎えるという事は想像に難くないでしょうが、位牌や石塔、卒塔婆の場合でも、それ自身が仏そのものであり、崇拝の対象であると考える為、開眼を行う必要があるのです。
 
 仏壇も仏を祀る場所として、寺院における須弥壇あるいは、堂塔と同様のものと考え、仏を迎える道場を不変のものとするために、開眼を行わなければならないのです。
 
 一方、破損や老朽化などで新しいものと交換する場合には、迎えた仏を本来の場所に返さなければならないのです。このことは、一般的には御魂抜き・お性根抜きなどと呼ばれますが、正式には撥遣(はっけん)と言います。
 
 なお、浄土真宗に於いては、他宗で言う御性根入れのことを入仏法要と言い、御性根抜きのことを遷仏法要と言います。

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